皆さま、日々の試験勉強お疲れ様です。
今回は私、宮里の技術士合格までの道をご紹介したいと思います。
高卒には技術士は合格できないと言われて笑われた事もありましたが、諦めずにコツコツと続けることで、合格できるということがお分かり頂けると思います。
私の生い立ち等も含めご紹介したいと思います(笑)
興味ないかもしれませんが、勉強の箸休めになれば幸いです!
中学~高校時代
私の中学時代は地元ではかなり有名なエリート不良が集まる進学高(不良偏差値の高い)!?に在籍しておりました。
私の親の世代から代々治安の悪いところで産まれ育ちましたので、必然的に中学校時代にはエリートヤンキーとなっていました(笑)
中学2年の時に当時の担任の先生のススメもあり地元のボクシングジムに通うも、ヤンチャに拍車がかかり退部させられてしまうどうしようもない子でした。
中学3年生の時の進路相談の時のエピソードですが、私が「高校は普通高校へ行く!」と伝えると、「ボクシングで殴られすぎて、少しおかしくなっている」と先生達の間で噂されていると、卒業後に知らされました(笑)
絶対に中学卒業後は仕事に就くと思われていたらしいです。
ただ、成績はズタボロですので中学3年生の2学期からが猛勉強して見事普通高校へは進学することができました。
卒業式の卒業証書授与の壇上で校長先生が私の番に号泣し、つられて私も壇上で号泣し抱き合ったのを鮮明に覚えています(笑)
高校入学後はこれまで付き合いのあった友達とは全く違う環境に置かれ、学校ではかなり浮いた存在だったと思います。
高校生活が1番楽しいと言われることが多いですが、私は全く逆でした。
〇〇中学の宮里というだけで、かなり敬遠されていました(笑)
私の今の強靭なメンタルは高校時代に作られたものかもしれません!
では、何故そこまでして高校へ行ったのか。
『当時の彼女がそこの高校へ行くと言ったから』
ただ、それだけです(笑)
その後その子とは別れてしまうのですが、何とか高校も卒業することができました。
もちろんテストは赤字。。追試も赤字。。。
学校の美化活動で卒業したようなものです(笑)
周りの同級生のほとんどが大学や専門学校へ進学。数名は就職活動できちんとした会社へ就職していましたが、私は高校卒業時には進路も何も決まっていない状況で卒業しました。
高校卒業~土木作業員時代
高校卒業後3か月位はフラフラ遊んで過ごしていましたが、見かねた父親の紹介で知り合いが経営する土質調査会社(以降ボーリング屋)に就職しました。
日当8000円・休日は日曜日のみ、現場がないもしくは、風邪でもひいて休もうものなら、どんどん月の手取りが減るという環境でした。
それでも酒を飲んでは、仕事を休む・遅刻するというようなことを繰り返していました。
仕事はかなり辛かったです。
どんなに大雨が降ろうが、どんな山奥だろうがポイントまで資材(重量物)を運んでいき、穴を掘る。
まさに『ここ掘れワンワン』状態(笑)
泥にまみれながらも、『俺みたいな奴にはこんな仕事でもあれば良いほうだ』と自分に言い聞かせ過ごす日々でした。
その後28歳で結婚。同年、長男誕生。この頃から、将来に対して強烈な不安を覚えました。
いつ大怪我をして長期現場離脱をしてもおかしくない職種だが給料が日当(保障がない)。
保険にも入れていない。
他のボーリング屋への転職も模索したが、当時の私の県では組織化しているボーリング
屋は数える程で、殆どが一人親方。
同業での転職は絶望的だった。
そのようななか、当時仕事を貰っていたのは建設コンサルタント会社。
年齢的にも職種を大きく変えての転職は難しいと考え、建設コンサルタント会社への就
職を決意しました。
数社面接を受け、ある会社の設計部での採用が決まりました。
パソコン等触った事もない私は大慌てで近所のパソコン教室へ入会し、パソコンの電源
の入れ方から教わりました(笑)
建設コンサルタント時代
建設コンサルタント会社へ就職。
担当した主な業務は地盤の解析、道路構造物の点検、橋梁・カルバートBOXの補修設計等。
おりしも、転職した頃は道路橋の点検が義務化された時期。数多くの橋梁やカルバートBOXの点検や補修設計に従事しました。
これまで勉強とは無縁の生活を送っていた私には、この頃がもっともきつく、そして充実した時期でした。
この会社への就職が後に技術士を目指すきっかけとなりました。
当時勤めた会社には2名の技術士が所属しており、彼らの名刺に書かれた『技術士』という文字は建設業界では圧倒的な存在感を誇り、彼らの意見には誰もが耳を傾け、どのような発注者・取引先に対しても対等に渡り合っている彼らの姿に強烈な憧れを覚えました。
しかしながら、技術士という資格のハードルの高さや、当時の私の情報網では高卒で取得している人はいなかったため、取得なんてできるはずがない。そう思っていました。
技術士はまぁ無理だろうということで、施工管理技士・コンクリート技士・コンクリート診断士等の資格と徐々に取得していきました。
建設コンサルタントに転職してから、高校受験依頼の勉強を開始したのですが、以外と楽しくどっぷりハマっていきました(笑)
コツコツやると結果がついてくる楽しさにようやく気付きました!
また、この業界は資格がものをいうことを身をもって体感しました。
現在に至るまで
その後、現在の職場へ転職しますが、やはりどんな資格を取得しても圧倒的存在感を誇り、輝いているのは『技術士』。
この業界では圧倒的です。
コツコツやれば結果がついてくることを経験していたので、『やってやれないことはないのではないか!?』と一念発起し受験を決意しました。
■一次試験合格まで
技術士になるため高卒の私は、まずは第一次試験に合格しなければいけません。試験内容は大学のエンジニアリング課程程度とされています。
試験内容は択一式ですが、参考書を開いてみると、、訳わかめ。。。見たこともない顔文字みたいな公式が。。。何をゆうてんねんっ!!状態です。
そうです!理解できません。(涙)
なので、勉強方法を「理解する」から答え(公式)を「映像として覚える」に切替えました。家中の至るところに公式を書いた紙を貼りまくりました。知らない人が見たら、ヤバい奴が住んでる家です。
また、私は覚えが悪い方ですので、1冊約500ページ程ある過去問の参考書を少なく見積もっても30回位は解いたと思います。
これを1年続けたお陰で、技術士一次試験に一発合格することができました!
すぐに家中の張り紙を剥したのは言うまでもありません。
■二次試験合格まで
コンサル時代から各種資格試験を受け、一発合格を続けていた私は少し調子に乗っていました(笑)
一次試験も一発合格した私は、『二次試験も一発合格いけるんじゃね!??』と思っていました。
ところが、そんなに甘くはありませんでした。。
さすがは科学技術系最高峰の資格です。
2回目の受験で合格することが出来ましたが、相当勉強しました。
詳しくは、前回のブログを参照下さい。
技術士二次試験 ~仕事と勉強の両立~
この通知が届いた時は本当に涙が出ました。
しかーし!
口頭試験のことを考えると、物凄いプレッシャーがありました。
これまでの苦労を無駄にしたくない!もう二度とあの論文試験を体験したくない!
そんな事が頭をよぎり、物凄いプレッシャーでした。
詳しくは、前回ブログを参照下さい。
結果は見事合格!
合格発表の日には、これまでの人生のなかで1番多くの『おめでとう』を言ってもらえました。
このブログを読まれている皆さまも是非当講座で学ばれて、おめでとうのシャワーを浴びてもらいたいものです!
まとめ
いかがだったでしょうか。
ここまで読み進めて頂いた皆さま。
私のこれまでの歩みを見て頂きありがとうございます。
現在に至るまで紆余曲折ありました。
こんな私でも技術士に合格することが出来ました。
合格出来ない人は絶対にいません!!
合格出来ないと決めているのは自分自身です!!
諦めずにコツコツ努力を積み重ねることです。
そしてその努力と方向性が一致していると合格はグッと近くなるのではないでしょうか。
当講座では、【資料提供】【添削】【Zoom面談】であなたの技術士合格の応援をさせていただきます。
技術士二次試験に合格して1日でも早く技術士の称号を手に入れてください。
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